最近、ちょのーとに登録する名言を本で見てて、思うことがある。
なにかを成し遂げた人。それはまず第一に、熱狂してないやつ、成功してないやつが偉人には数えられていないってこと。
歴史に名を残した人はみんな自分の夢に対して熱狂してた。それ以外どうでもいい、失敗してもいい、何度失敗してもいい、そんな風に思ってる人が世界を作ってきたんだと思う。
確かに、何度も失敗なんて常人ならできない。一回失敗したらもう諦めるのが普通だろう。
だからこその天才なんだろう。失敗を恐れない、というと違うくて、みんなたぶん失敗するのは恐れていたはず。進んで失敗したい人なんていないと思う。
でもそれでも行動した人達。失敗して破産して、みじめな人生を送るかもしれないのに。
そういう部分が常人からするとタガが外れてるというか、ある種達観してたのかもしれない。
……
…
たださ。歴史に残ってない人も同じくタガが外れて、そして同じ命題にチャレンジングに立ち向かってたはず。
いろんな発明に埋もれてるけど、それに情熱と人生を費やした人がいたんだろう。でもそれらは偶然世に見いだされて、今僕らに偉人として知られている同じような発明をした人にかき消されてて歴史には残らない。
一つの名言の裏に、成功した一人の陰に隠れて、多くの人がその人生をかけて自分の思いを形にしようと努力していたはずなんだよな。
その人達が残したはずの名言は残念ながら歴史から失われてる。
自分の信念を貫き通した人が”数多”なんていうしょうもない言葉では言い表せないくらいたくさんいたはず。
んじゃ名言って何なんだろう。結局成功した人の語った言葉になってるじゃん。
そうじゃないんだよ。ああ、まったくそうじゃない。
たとえ成功しなくても、それと同じ志、それかさらにそれ以上の志でただチャレンジした人こそ評価されるべきだと思う。
タイムマシンがあるならそういう人に語ってもらいたい。成功したことがすべてじゃない。
本当の名言ってのは、本当はそこにあるんだろうと思う。
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