聞こえーないー、ダイナモにかき消されー、人はーなぜー、歌を手放したのー。
なんてきれいな旋律なんだろう。
大学時代の友人がカラオケで歌ってて知った曲「遠い音楽(Zabadak)」。
普段よくわからんアニソンしか歌わないやつで、水樹奈々様!とか言って、声もアニメ声でたぶんその水樹さんを真似てたヘンなやつが、モジモジと恥ずかしがりながらこの曲をデンモクで入れてたのが新鮮だった。
こんなに必要な音しかない音楽で人が歌う曲、これしか知らない。
必要な音だけが必要な場所に置かれている。
いや、むしろ少なすぎるくらいかもしれない。でも作曲家が少なすぎる音符を提供できることなんて99%ない。ほぼ過剰なくらい音符をひき詰めてくる。それは俺が作曲しててよく知ってる。どうしてもこの装飾譜を聞いてもらいたくなって、入れ込んでしまう。
でもそれが蛇足。
それが徹底され過ぎているのがこの「遠い音楽」。
いつ聞いてもたぶん日本の歌謡曲の中ではナンバーワンだと思う。必要じゃない音が一切ない。
すべての音がこの曲の伝えたい憧憬のために存在してる、それがすごい。
こんな曲作れたら、すぐ死んでもいいって思うだろうなー。
ファミコンやスーファミのゲームBGMがなんであんなにも耳に残るのかって、いろいろその理由は言われてる。
使ってる音の波形が人の耳に残りやすいものだから、とかそういうの。
でもたぶんそういうのじゃなくて、使える音の量に厳しい制限があったから、いらない音をこれでもかとそぎ落とした音楽に自然となってたから、だから人の耳に残るんだろうと思う。
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