センスって何?って考えると、センスってみんな同じ面積だけあるものをどれだけ特化させたか、それをセンスって呼んでるんだろうと思う。あの6角形のケロッグみたいなさ。どっかに一点突破してるのが俗にいう”センスある”って言われてる状態だと思う。んでみな平均な状態がセンスのない状態、と。
結局センスはあるとかないとかじゃなくて、どこにどれだけ突出してるかだけ。総量は同じ。
別の言い方すると精神病と健常人との間の領域をセンスって呼んでる。
ほかの人との感じ方の違い、なんかこいつ他と違うな、って言う、でも精神病とも言えない範囲の物をセンスというふわっとした言葉で濁してるだけ。
左利きとかちょっと違う特徴持つ人がセンスあるって言われてるのは、センスがあるんじゃなくて、自分で意図せずに他との感じ方の差異が、使ってる脳の違いとかから生じてしまっているので、そのまま進めば精神病なんだけど、そこをふわっとセンスって言葉でなあなあにしてるだけ。
別に右利きとか普通の人がセンスないんじゃなくて、センスが多くの人々と同じってだけ。
左利きみたいな何かしらの特徴を持つ人はセンスが一般的な人とぶれる、ケロッグでいうと突出してるパラメータが平均的な人間と比べると逸脱してるから、それをセンスあるって言い方でごまかしてるだけ。普通にいえば統計から逸脱しつつある、精神病予備軍だよね、ってだけ。
だから誰でも自分で、この分野に行きたいと思えばセンスに振り切った人間になれるはず。
でもなぜそうならないのかというと、センスっていうのは他との違いを自分で「いや、オレが合ってるんだ!」と思える図太い精神が無いと育たないから。じゃないと結果的に平滑化されたケロッグになる。
左利きとか生まれつきの差異を持つ人はもうなにもしなくても、物心ついたときから感じ方が他と違うから自分の違いを認識せざるを得ない。オレが左利きだからそれはよくわかる。
感じ方が違うっていうとざっくりとしてるけど、なんていうか本当に根本から友達の考えがわからない事ってのが特に幼少期は多かった。
もちろんその時は左利きだからとかそんなの全く意識してないからなんか違うんだな、と思うしかないわけで。
でも、子供のころってやっぱり自己肯定感強いから、「いや、オレが合ってるでしょ」と思いやすい。だって自然にしてて違うんだから。その後も性格として自己肯定感の高さを維持できれば「は?お前らが違うだろ、オレがあってるだろ」と成長していくことになる。
自分で意図した違いじゃないから。普通に育ったさきでの違いだから、それが間違ってるなんて生まれつき違いのある人は思わない。そもそもその差異を利き手とかそういう特定の違いだとは思わない。性格かな、と思うだけ。少なくともオレはそうだった。
でも例えば後天的に自分で違いを作った人はそこに疑義ができる。本当にオレは合ってるんだろうか、と。自分でわざと他とのセンスの違いを作ろうとしてるんだからそういう葛藤は自然と出てくると思う。で諦めてしまう。センスを尖らせることを。
センスという概念に立ってるからあきらめる、とかいう言葉になってるけど、一般人という概念に立つなら、他と違う事に気づくチャンスが多いってコト。大人になったり、自分でセンスを磨こうとしたときには。幼少期にはチャンスがないんだな。だから一般的には間違った方向に成長しちゃうわけで。
で、仮にセンスを尖らせてても、これ合ってるのかな…、という態度だとそれは淘汰されちゃう。ダウンタウンの松本人志はたぶんセンスあるってみんな思ってると思うけど、最初に松本さん本人が「オレが合ってる!オレが一番面白い!」と思ってないなら誰にも伝わってないだろうと思う。
だから松本人志も左利きなんだろうと思う。自分の違いを認識するけど、それが自然発生的に生じてるから「オレがあってるんだよ、お前らがダサいだけ」という考えになりやすい。
いっぺんまじで左利きとかなんか違う特徴持つて生まれてほしいけど、それくらい色々違う。なんでここでそう思うんだろ、って疑問に感じることが多い。そこで自己肯定感が強いと「お前らがクソ、オレが合ってる」ってなって有名人生み出しやすいし、逆だと普通に引きこもると思う。
芸人に左利きみたいな特徴持つ人が異常に多いのもわかる。普通に生活するのむずいんだろうな。感じ方が根本から違うからストレスが大きいんだろう。
自分のおかしさをおかしいと思わないこと、それを”センス”って呼んでる。
一般的にはおかしいのにそれを一途に極めるからそこに価値が生まれる。おかしい事を自信をもって「どや!」できることをセンスって呼ぶ。違うってのは少し度が変われば精神病だから。それを気にせず誇れる気持ちが必要。
おかしいのに子供だからまさか自分がおかしいだなんて思えないから左利きみたいななんか違う特徴持つ子供は天才が多いって言われてるだけ。おかしい事をおかしいと思わずに、一般的な尺度だとおかしい方向に、そこまで一歩一歩ずーっと愚直に歩んできてるんだから、一般人からすれば見たことない領域を見せつけられることになる。だから”センスある”っていう言葉につながるだけ。
センスある、んじゃないんだよな。本当は。ほかのその年代の子がみんなで一緒に歩んでる道を歩めずに、一人明後日の方向に砂漠でも進むがごとく進んだから、そうなっただけ。
ゼロからセンスが湧いたわけじゃない。普通の人の持ってるセンスとプラマイゼロで、違う何かを違う生き方をしたから、結果手に入れただけ。たぶん幸せではなかったんだろうと思う。他と違う一歩をそこまで歩み続けた過程は。
オレみたいな左利きでも、半左利きみたいな凡人側のやつはずーっと幸せだったけれど、ほかのすごい人はマジでそうなんだろうなと思う。だって俺のさらにヒドい版の人生ってことでしょ。そりゃヤバいわ。
でもそれは、おかしい事をおかしいと思ってもそれを信念持って続けられるなら大人だって誰だってできること。
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