「桐島、部活やめるってよ」面白くないなぁ…

2024年6月17日月曜日

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朝井リョウの小説を読んでそれなりに面白かったんで、アマプラで見れた同作家原作の映画「桐島、部活やめるってよ」見てみた。

まあ面白くなかったし、朝井リョウさんってこの切り取り方しかできないんだなってのがわかって心底がっかりしてしまった。


作家といえども

まー、確かに小説って一人で書くし、漫画と違ってどんどん新しい話を書かないといけないから難しい部分もあると思う。

漫画なら一つのタイトルが流行ればそれをずーっと10年20年書き続ければいいだけだからなー。作品のメッセージ性とか考える必要もなく、当初のメッセージのまま書き続ければいい。

でも小説はそうじゃなくって、新作をどんどん書いていかなくちゃいけない。


ただ、作家って言っても一人の人間だから、心情とか考え方ってそんなすぐ変らないと思う。だからおんなじような小説ばっか書くことになるんだと思う。


で、その”同じような”が伊坂幸太郎さんみたいな作品の読みやすさとかそういう部分の話ならいいんだけど、作品のテーマとして同じような本だと飽きるし、なんで同じことをまた違う本でやってんの?と思ってしまう。

それを大きく感じたのが朝井リョウ。


部活とか学生とか、そういう心理描写しか出来ていない。

こないだ書いた「死にがいを求めて生きているの」の感想を撤回したいくらい、同じことしか書けてない。


あれだろ。

この「桐島、部活やめるってよ」も「死にがいを求めて生きているの」も、特定の事柄に対して感じることの違いを書いてるだけだし、その違いも青臭くて成長してない。

学生時代の感性しかないのかな。で、それもおっさんが書いてるから精彩を欠いてる始末。


後は体育会系の人間の書き方が極端すぎる。こんな暑苦しいやつまずいない。どういう思想なのか知らないけど、そこだけものすごい違和感がある。

たかが部活やめた霧島を探しに部活の面々が屋上まで走るとか、たかがジンギスカンパーティーのために署名集めるとか、どういうイメージなんだろう。体育会系の人間に対して。


たぶんだけど朝井さんの書くリア充が全員キョロ充なのが違和感の正体だと思う。で、逆に非リア充の方を非キョロ充寄りで描きがち。そこがしっくりこないんだろうな。


俺の知ってる高校生じゃないというか。

リア充は普通にリア充で、キョロ充は普通にキョロ充で、誰でも見たらすぐわかったし、キョロ充はモテてなかった。それに文科系の部活の人らにしてもかっこよかったり、熱意があったりしたら普通に人気あったし、キョロ充がここまで調子乗ってる学校なんてあるのか、と思ってしまう。逆にこういうやつらって疎ましがられてたけどな。

というかどこでもキョロ充は疎ましがられると思う。そんな奴らがバスケしてるのを窓で見てときめいてるみたいな構図に無理がある。どんなおっさんが妄想書いてんだろ。

作者がキョロ充だったのかもしれないなー。知らんけど。


うーん、結局何冊か読んで平均以上にどれも面白かった作家って、今のところ伊坂幸太郎さんと中村文則さんしかいないんだよな。ほんとたぶん今までで1,000~2,000冊読んでると思うけど、だいたいの一般的な作家は書いてることがこの朝井らしく、同じことしか書いてなくて飽きるんだよな。


よくわかんないけど、楽しませようとかそういう気概で作品を仕上げてないのかな、自分の書ける文学的範囲で作品を仕上げることを編集に強いられるのかな。わかんないけど、こんな同じような作品書かれても困る。2Pカラーかな。

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