ガンダム見ようとしたらゆるキャンの映画がアマプラの広告で流れてたんで、さっそくゆるキャンへ。
え、ゆるキャンなんてほぼガンダムじゃん。さらに面白くなったガンダムやん。なんなら三連星も出てくるし。ぶたれたからどうのみたいなのも言ったり言わなかったりするやん。
ならもうガンダム見ようとしてゆるキャンの宣伝流れたらガンダムほっぽってゆるキャン見るよね。
え、見るよね。
え、見ないの。
なんだ、そっか。そうなんだ。
へー、そうなんだ。
まー、この着地点ねーんだけど。たぶん誰かがとめないと永久に「そうなんだ」って言い続けるやつになる。
んでゆるキャン映画版さっそく見てみたけど、まず言いたいのはこういうユルい系アニメでバイトとか仕事とかそういうの描写してほしくないってコト。
すっごい端的にいうと、ゆるキャン△映画版はユルくないよね、ってこと。
ゆるキャン△映画版では大人になったなでしこらが描かれる。
自分が何者にもなれないなんてことはもう大人になって、誰でもずーっと知ってるわけで、それを改めて再認識させられるのがつらい。
ただ歯車になってただ生きて死んでくだけ、それが普通でその中に幸せがあるのも知ってるけど、それが子供のころに思ってた俺じゃないのは確かなわけで。
それをアニメでまた知りたくない。
このアニメにこんな、正月の焚火上げの、わら臭い、そんでまた数日したら仕事に行く日常が始まる、あの寂しい感じなんて求めてなかった。
現実に満足してないわけじゃない。でもずーっと伸びてきた、ザ普通と形容して差し支えない、この足取りを、あの時の俺が見てどう思うんだろ、って思うことはある。
きっと善しとはしないだろうなーって。
こちとらほぼほぼ現実逃避としてこういうユルい系アニメ見てる。
だから、そこでバイトやら仕事やらそういうの入ってくると引き戻されちゃう。
もったいない。
金銭面とかそりゃキャンプやらなんやらするなら気になるけど、そんなんフィクションです!で捨て置いてほしいんだよなー。どうでもいいというか。作品の整合性なんて。
もう実家が大富豪です、で強引にやってくれればいい。そんなのは。
日常感いらない。
アニメや映画には非日常を求めてるわけで。まー、それだけオレが日常に飽きてるってことなんだろうけど。
そんで、そういうのをふまえてのエンディングの曲の出だしがすんごいよかった。
ゆるキャン△の映画の本編はエンディングの歌詞じゃねーかな。それ以外は前菜、というかぶっちゃけ大人になってしがらみの増えたこいつらなんて見たくなかった。
そこはグレーのまま伏せといてほしかった。
ま、なんでもいいや、はよねよ。
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