図書館行って「QJKJQ」っていうタイトルの本が気になった。
ウマ娘をやってるオレからすれば「え、ネオユニヴァース?」てなもんである。でジャケ借りして今日公園で読んだ。
ここでは佐藤究さんの「QJKJQ」の感想を。
ちょうどいい余韻がある本
この思わずネオユニヴァースを疑ってしまうタイトル「QJKJQ」のあらすじは、
わたし、お母さん、お兄ちゃん、お父さん、みんな猟奇殺人鬼。
今日もわたしはナンパしてきたハウスダスト調査員の胸をお手製ナイフでざっくり処理し、お母さんお兄ちゃんは自宅でそれぞれ獲物を楽しんで殺してる。お父さんは…、何を考えてるかわからない人。一度見た殺し方は相手の血管に刺した透明なチューブをその相手の口に咥えさせ、自らの血を飲ませて殺すという殺し方。
でも今日帰宅したら…、おにいちゃんが…、めった刺しに殺されてて…。
みたいなやつ。
とにかくずーっとインパクト。インパクト重視の本なのかなーと思うくらいインパクトに事欠かない。
ただ読んでいくとインパクトだけじゃない本、ってのが分かってくる。マンガの書き方に近いというか。1話目に一気にインパクト詰め込んで2話以降ゆっくり世界観なりキャラなり深掘りしていくみたいなそういう構成。
きっと読むタイミングとかで感じる事とか読後感とか変わってくるタイプのちょうどいい余韻の残る本だと思う。
逆にいうと主題がわかりづらい。
何が言いたいのかわからないまま終わっていくというか。
ネタバレ含んじゃうけど、なぜ「QJKKJQ」ではなく「QJKJQ」なのか、みたいなの書いてあったけど、確かにキング(K)がなぜ1枚なのかっていうのはあるけれど、それ以前にポーカーだから5枚しかないからじゃ?みたいなの思ったりもする。
さらにネタバレを書くと、殺人遺伝子、つまり殺人鬼は子供に遺伝するのかというのがわかりやすいテーマになってると思うけど、最後の「母親は絶対に確かだが、父親はつねに不確かだ」っていうのは誰の子かわからない、っていうこのことわざ?のシンプルな意味とともに、この小説では母親の記憶は「わたし」の夢や思い出、つまりわたしの内面から出てくるのに対し、父親との思い出は記録映像という外部の物として描写されてることから、母親についての何かを描いてる小説なのかなーと思う。
それが何なのかわからないけれど。
あとはラスト、ラテン語ってのがよくわからなかったけれどあれをわたしと父親の記録としてみるなら、殺人遺伝子なんてものはなく、人はその後天的な思想によって人格を形成し生きていけるのだ、というのを伝えてるのかなーとも。
だから「わたし」の家の人々はベジタリアンだったのかな、最初の描写に戻っていくのかなーって。
ていう具合に読めばまた新しい何かに出会えるんだろうなーって適当に本読んでるオレからするとちょうどいい余韻なり謎なりが残る本だった。
ただ正直、ヒマつぶしで読むには全然アリだけど、例えばめちゃめちゃ忙しい人がこれを読むために無い時間を割くかどうかって言われたらノーだとは思う。
めっちゃ面白い!めっちゃ泣ける!めっちゃ考えさせられる!みたいなのはない。アマプラでヒマな時によくしらん洋画の吹き替え版見るかどうかの天秤に釣り合うレベルの感じ。
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