自転車で近所走ってたら、こっち止まってるのに前見てない相手にぶつかられるし、缶ビール買ったら家に帰る途中に「プシュー」ってなってて、買い物袋の中見たらなんか缶の真ん中のとこに傷入っててそこからビール漏れ出てる。
逆にいいよなー、ここまでしょうもないハプニングが続くと、おう、んじゃ次どんなの来るの?ってなるよなー。
話変わって。
絵とか曲とか、文章とか。まー文章は敷居低いとして、絵とか曲とか作ったのに公開しない人って結構多いと思う。友達にもそういう人が多かった。
ていうかなんで国語だけ基礎科目的な扱いなんだろうな。芸術分野なんだから美術、音楽、国語の位置にランクダウンしてほしい。よくわからない。
明らかに歴史や数学、理科とは分野が違う。
人それぞれ感じ方が違うもんなんだから。小学校までは国語は漢字や文法学習をふまえて基礎科目でいいけど中学以降は別にいらねーだろと思う。読みたいやつは本読むし、読まないやつは読まないんだから。そういう意味では絵や曲とまったく同じ。
美術のテストで「この絵にマル印を追加して収まりのいい絵にしてください」っていうめちゃめちゃ意欲的な設問があって、んで答え合わせ時「なんでここがダメなんですか!」みたいな生徒がめっちゃいたけど、それと国語の「作者の気持ちを答えなさい」と何が違うんだろう。
そんなんみんな違って当然だろうと思う。感性の問題なんだから。美術の設問が問題視されるなら国語の設問なんてずーっと問題だらけだろうと思う。
国語めっちゃ嫌いで、センター模試も100点切るくらいショボショボだったんだけど、小説読むようになったら余裕で8割超えるようになるくらいのヌル科目なんだから。学校で教える意味がない。
小説5冊くらい読みゃいいだけ。先生から学べることなんてない。あの科目に。
結局これ書いたやつが何を言いたいか、っていうのが推測できるようになるだけ、というか、本読んでたら知らんうちにそういうステレオタイプが自分の中にできるだけ。だから点が取れるだけ。こう書いたらこう言いたいんだよね、っていうしょうもない知識が増えるだけ。
悪くいうと個性が平滑化された、って言えるかもしれない。意味ない、国語に一般科目としての意味なんて。
実際、美術や音楽の授業で、これがいい絵です、これがいい音楽です、なんて授業してたら問題じゃん。国語も同じなんだから強いてほしくない。感じ方を。え、青少年をロボットにしたい感じ?と思う。だから国語嫌いだった。
んで、絵やら曲の公開の話へ戻る。
正確にいうと完成形しか公開しない人が多い。自分自身満足いったやつしか、というか。
まー、その気持ちは痛いほどわかるんだけど、満足できてない作品もまた一つの成果物なんじゃないかなーって。
そもそも本当にすごい絵とか曲ならみんな見てくれるし聴いてくれるじゃん。それは作品自体の出来がすごいから。それが本来絵を描く人や作曲してる人が目指すところだってのは分かる。
でもツイッターやブログやってたら、未完成というか、ここまでの結果を見てくれる人がいるんだから、自分としてはまったく満足いってなくてもガンガン公開していったらいいと思うけどなー。
どっちが上達するかって言ったら、そりゃガンガン公開していった方が上達するだろうし。んじゃ公開し得じゃん。
絵を描いてたり作曲してるのってさ、誰かに褒められたいからじゃないでしょ。あくまで自分側が主軸でしょ。描きたい!作りたい!っていうのが最初でしょ。
ならフィードバックを得られるならその機会を逃す手はない。ヘタなりに頑張って書いたり作曲したなら胸を張って公開すればいいと思う。恥ずかしいって思う事が恥ずかしい。だって本気で描いたり作曲したんならそれは自分に対して失礼じゃん。
いったん、今の自分の力はこの程度だって、公開するのは大事だと思うけどね。頑張るバネになる。
まー、オレはそもそもこのブログでは「できないこと」っていうのを書きたくて最近は、囁きソロだったりの記事を書いてるんでそういう意味でもショボい絵を公開するのは趣旨に合ってる。
できない事って言うのは「こうすりゃできる」と同じくらい意味のある記事だと思うんだよなー。
ただ「ショボい絵」って描いたけど、俺からするとショボいなんて思ってない。今のオレが描ける最高の絵だったし、めっちゃくちゃ誇らしく思ってる。
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