ガデテル、クレイグ、ベロニカ、アイシャのドット絵がすごすぎる

2022年6月25日土曜日

ガーディアンテイルズ

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ガデテルのクレイグとベロニカ、アイシャのドット絵、神がかり過ぎてて真似しようとしてもできない。


クレイグの鎧の質感、ハイライト、ドット絵と思えない。普通に金属に見える。

ベロニカの帽子の質感、あの帽子のてっぺんが光ってる感じ、それから装飾の金属感。服装のディティール。すごすぎる。

アイシャはもうどこを取ってもすごい。特にあのクリスマスみたいな服装のディティールがすごすぎる。いらないドットなんてたったの一マスもないんじゃないかっていうくらいすごい。


こんなのドットでどうやって表現してるんだろう…って天才的過ぎて、どうやったらここまでできるようになるんだろうって、途方に暮れるというか。

クレイグなんて、めちゃくちゃ努力してこの金属の表現がコピーできるようになったとしても、この構図?この腕の感じとか、どうやって思いつくのか、そのそもそもの立案の所からわからない。


ああ、やっぱドット絵は奥深いなー。


このブログ

このブログ、まじで大したこと書いてないのにグーグル検索で上に出過ぎてる気がする。

いやもちろん読んでもらえる分には嬉しいといえば嬉しいんだけれども、正直昨今のyoutuberの動画みたいに営利でやってるわけじゃないから、読んでもらったとしてもこちらになんのペイもない。


んでこれまで通り書きたい事書いてるとヘブバン信者とかからコメントが来る。

それはそれで反応が得られて、フィードバックがあっていんだけれども、それで書きたいこと書けなくなるのは違う。


そもそもオレは自分で自分のことすら決められない人や、人の評価で行動を決めている人を見下してる。キョロ充を見下してるし、嫌ってる。それは昔からずーっと。ただこれまであえて書かなかっただけ。


キョロ充的な思考って、自分が好き、っていう行き過ぎた感情だろうと思ってる。ナルシストと言ってもいいかもしれない。

いやちょっと違うな、相対的ナルシストというか。自己愛の大きさと自己肯定感に大きな乖離がある状態がキョロ充だと思う。

ようは自身の求める量の自己愛を自分で供給できてない状態。だからその足りない分、本来なら自身に対する自己肯定感で埋められているはずの部分を、人から承認されることで埋める必要がある状態。


人には自分から何も与えず、にもかかわらず、自分は誰かから必要とされたい、っていう願望。だから人の評価を異常に気にする。自分の椅子をパイを奪われないように、時にはいじめさえする。


それはよくてゼロサムゲーム。

自分でパイを作る事、席を作る事をしない。能動性がなく徹底して受動的。与えられた席、パイの中に納まることに全力で自分がない。存在してるだけで他の資源、本来なら誰かが得られていた席やパイを奪って生きている害悪。基本的にマイナスしか生んでいない。


自分で自分の価値を認められない。自己愛から来る徹底した自己中。

自分の席を自分で作れない。もちろん誰かの席を作ってあげることもできない。


だから人に頼る。自分の価値を誰かの評価に依存している。


ここまでは学生時代、俺がキョロ充を見下してた考察になる。


そしてコロナ禍になって2年。今までちゃんとプレイしてなかったソシャゲをここまで長くプレイして、そういうやつがソシャゲプレイヤー、もしくはそもそも世間全般で思ったより多いことを知った。

だから最近はそういう思想を全面に書くようにしている。このブログはあなたには合わないよ、っていう意味で。あとそろそろ適正なグーグル検索の位置に下がりたい。こんなもん高くてもこっちに利益何もないんだから。


書き手はただ好きなことを書く、読み手はただ好きな記事や書き手を取捨選択して読む。ある意味で双方向だと思ってる。

どちらも好きなことをした結果が書いたり読んだりする関係だと思う。


まー、正直キョロ充でもいいよ。

ていうかその年までキョロ充なら一生キョロキョロしてるだろう。首痛めないように気をつけろよ。首痛めないにしても四十肩とか。キョロキョロするたびに肩痛むんだろうから。いや逆に四十肩でキョロ充が改善されることもあるのか。

ていうかもう四十肩なってる段階で、充実はしてない気もするけれども。ただのキョロ、だな。そうなると。


…ん、想像してみたけどおじいちゃんやおばあちゃんのキョロキョロはちょっとかわいいな。


でも自己愛も大概にしとけよ。

だれもおまえに興味なんてないよ。もちろんオレにも。それはすべての人間に対して言える。お前が周りの人間に「自分を認めてくれる存在」としての価値しか見出してないなら、周りもそれだけしかお前に興味なんてない。

ちなみにオレは周りの人間に興味が一切ないから、周りの人も俺に興味が一切ないだろう。ガハハ、でもそれでいい。自慢じゃないけれども自己肯定感は異常すぎるくらい強いと思う。

こっちはこっちで異常だと思うけれども。でも自分がこれやりたい!てのがあって、それに夢中ならそうなると思うんだけどなー。まー異常だよな、おーけーおーけー。


だからもっと好きなように生きればいい。そんで気まぐれでも何でもいいから、ゼロの地点から、自分から率先して誰かに何かを与えられるようになればいい。そうなって初めてゼロサムから抜け出せるんだから。


ボランティアとか人助け、そういうのってまずは自分の精神のあり方だと思う。ちゃんと自身で自分の分の自己愛を埋められてないとそんなの出来るわけないというか。


じゃないと、ボランティアしました!募金活動しました!って誇ることになって、それは承認欲求が少なからず関与してくる。

街角で6人も7人も大学生がカンボジアの学校建設がどうの~で募金活動してて、イラっときてしまって、募金するついでに「んで君らは6人も7人も大勢で募金活動する必要あるんですか。今のこの瞬間、1名を除いて他はバイトしてそれを全額カンボジアに送るべきでは」といったことがある。


「いや僕らはみんなの力でカンボジアに学校を作れたらって」


かなり沈黙があった後に、代表っぽいやつが言ってたが理屈がよくわからない。


言ってることとやってることに違いがありすぎる。それはきっとカンボジアに送る金額よりも、自分が街頭で声を張り上げて募金活動して偉い!っていう承認欲求、もしくは彼の言うことが本当なら日本人みんなの力で学校建てられた!っていう現地の人からすれば塵ほどどうでもいいこだわりが間に挟まったことによるズレだろう。学校建設が二の次になってるからイラっとしてしまった。

おまえらがかわいいのはおまえ自身で、カンボジアの子供じゃない。それをダシに使って自分可愛いをしたいだけ。


そういうのはもっと自然に、自身ではそれをやった記憶すらないくらいに自然に行動に出るものだと思う。本当にカンボジアの学校建設を目標にしてて、人の評価気にしてないなら自然とバイトしてそれを送るという選択がまず出てきて、それでは足りないから声を張り上げて募金をする、っていうフローを描くはずだろう。その発想がない時点でもう違う。

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